インターステラー を観て。

2015.04.11レビュー
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いまさらですが、昨年上映されていたインターステラーをDVDで観ました。
観終わったあと、余韻に浸り、続けて二回目を再生。

 

当初、インターステラーを手がけていたのはスティーヴンスピルバーグ。

ドリームワークスをパラマウントからウォルト・ディズニー・カンパニーに移したため、パラマウントは『インターステラー』の新しい監督を必要とし、クリストファー・ノーランがスピルバーグから引き継いだようです。
製作総指揮は理論物理学者のキップ・ソーン。

 

ノーランの作品を感想として述べるのが難しいのは、作品に込められたメッセージや、人間にとって難解で普遍的な問いをテーマに据えているからだと思う。
ノーランは、限りなく説明しづらい状況を用意しながらも、作品の進行と観客の理解進捗に対し絶妙な描写と台詞によって思考を引っ張り続けることに成功している。と思う。

 

結果、観終えたときに余韻を残し、時間が経つにつれ作品に込められた主題をぼんやりと理解し、鑑賞中に感じた不安や怖れを反芻しながら心に淀み続けた霧が晴れていく。
霧が晴れてくると、自分が受けた情動が記憶され、脳内で言語化する為に再度観て、ようやく腹に収まる。

 

これほどまでに余韻で楽しませてくれる映画を作る才覚者は、(私にとって)ノーランと、デイヴィッド・クローネンバーグしかいない。

 

 

父娘愛だけではない、SFを凌駕した論理性、科学と宗教、哲学の同時志向を示した作品。

 

人類のために旅立った乗組員も、制限のある中では自らの愛を優先しようとし、劇中では自分と周囲への想いでしか大義を為す動機とはならないと伝えている。
愛は、狭量で独善的でありながらも、愛こそが救いの土壌であることを示唆している。

 

作中では、

 

愛は観測可能な力であり、時空を超えて人へエネルギーを伝える。そのエネルギーは数値化出来るはずだ

として、主人公は娘へ残した腕時計の秒針にメッセージを込める。
相対性理論と重力を愛で語り、超越的存在を夢想せざるを得ない作品。

 

その条は「オーロラの彼方へ」を思い出す。

 

そして、作中には多くの宗教に纏わる言葉や寓話が登場します。

 

ラザロ計画というネーミングは、新約聖書中の人物ラザロを指し、最初の水の惑星は「ノアの箱舟」、氷の惑星では「カインとアベル」、最後は「アダムとイヴ」を想起させる描写がある。
「五次元生命体」とする超越的存在や、制限された極限条件の中で選択をし探索するプロセスは旧約聖書を逆になぞっていると思われます。
宇宙を題材にしているが、宗教寓話やモチーフが多数用いられており、それらがこの作品の神秘性やメッセージ性を深めているのだろうか。

 

時空、重力を越えた父からのメッセージによって重力の秘密を解明した娘(マーフ)が、
研究所の廊下を走りだし 「ユリイカ!」と叫びます。
この言葉は数学者・天文学者のアルキメデスが浮力の原理を発見したときに叫んだ言葉です。

 

私は詳しくありませんが、相対性理論と重力の基礎知識があるとさらに愉しめると思う。
理論物理学者のキップ・ソーンが指揮を執り、現時点で解明されている最先端の科学見識を見事に描いている。
重力と時間、相対性理論がプロットの必須要素なので、基礎知識のある人やSF好きはもっと違う愉しみ方があるのかもしれない。

 

 

「宗教なき科学は欠陥であり、科学なき宗教は盲目である」

というアインシュタインの言葉と、

作中で主人公が発する「運動の第3法則」

「前へ進むためには何かを後へ置いていかなければならない」

という台詞が、インターステラーが父娘愛だけでない科学と宗教・哲学を志向した作品であることの象徴に感じました。

以上、観た人しかさっぱり分からない感想だと思いますが・・・。まだ観てない人はぜひ。

  

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この記事の投稿者

川路 博幸

川路 博幸 代表取締役 googele+ facebook twitter

人生万事塞翁が馬。長いフリーター期間を経て2006年、(株)川路蒼藝舎を創業。客に媚びない強気姿勢に定評があります。ここ数年、サボっていたので今期は腰を据えて会社経営に取り組みます。最近ヘルニアがヤバイです。腰。

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